ある若人のブログ

どこかで学生をしているかもしれません

東京大学のフェミニズム

毎年4/12は東京大学の入学式が挙行されます。平成最後となった2019年の入学式では、来賓として上野千鶴子氏が祝辞を述べました。

 

 

僕は新入生というわけではありませんがたまたまあの場に居合わせました。そろそろほとぼりも冷めてきた頃だろうので、実際にあの場にいた一東大生として思うところを書いていこうかと思います。

 

 

先に言いたいことだけ言ってしまうと、同じ内容でも聞くのと読むのでは全く印象が違うと言う前提の元、あの祝辞はその場にいた人と後から文章で読んだ人とでかなり感想が変わってくると思います。

 

したがって、その場で話を聞いていた新入生に対して後から内容を知った人が批判するのも、その逆も意味がなかろうと。SNSで実況していた新入生の感想を切り取り、「こんな風に思う東大生はおかしい」と騒ぎ立てるのは言語道断です。

 

 

このような認識の乖離が起きるのは、祝辞の前半と後半の内容の差というか質の差というか、前半部分に疑問符がつく内容がいくつかあるためです。前半と後半を分けて評価できればよいのですが、上野さんは途中であまり止まらずスラスラと読み上げるタイプの人間だったので、前半で浮かんだ疑問符が離れないまま後半部を聞くことになり、新入生からの評価があまりよろしくなかったのではないかと思います。

 

 

実際上野さんの祝辞を批判している人の中でも、後半部分を批判している人はあまり見かけません。東大合格は努力が報われる環境があったからだ、という内容を「努力を否定するのか」という人はいますが、それは正直的外れでしょう。

 

 

具体的に前半部分の何がいけなかったかというのは以下の通りです。あくまでも僕個人の感想です。東大生みんなが同じ感想であると勘違いしてはいけません。統計は大切ですからね。引用したのはすべて実際の式辞です。

 

女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。
 

話は昨年度の東京医科大学不正入試の話から始まり、男女の合格率の比に移ります。1.0より高ければ男子の方が合格しやすく、1.0未満なら女子の方が合格しやすいわけですね。

 

 

1を大幅に超える私立大学が紹介された後、東大の理三は1.03であると言われます。「お、ほぼ公正な入試じゃん」という感想を抱いた時に「平均よりは低いですが1.0よりは高い」と話が続き、ここであれ?となりました。

 

1.03という数字の出典はここであると思われます。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdf

 

東京大学の平成25年度から平成30年度年度までの平均が1.03ですが、正直誤差や偶然の範囲内でしょう。年によっては男子の合格率が高いことも、女子の合格率が高くなることもあります。統計に詳しい人に計算はお任せしますが、これをもって差がある、女子の方が入りにくいというのは無理があるのではないかと思います。

 

 

 

医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。

事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。……


その後、上野さんは文部科学省の人のコメントを引用し、医学部入試で女子の合格率が低いのはおかしい、と述べます。ここら辺は、男子より女子の方が頭がいいのだ!と主張しているように取られかねません。

 

最初の部分と合わせれば、合格率比1.03という数字を以って男子優勢だと説いた挙句、その根拠は「だって女子の方が頭がいいはずだから」……そういったフェミニズムを超えた女尊男卑思想に聞こえるようで、ここの論展開が惜しいなあと思うわけです。この祝辞に対する新入生の批判もほとんどはこの部分のガバガバ論理にあって、彼らも僕も女性を軽視していたり、この社会に今のままであるよう望んだりと言ったことは決してありません。

 

実際聞いていて、ここら辺から(この人大丈夫か?)という空気が流れていたと記憶しています。

 

 

 

 大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。


もてません。

それは冗談ですが、「東大男子」を目当てにする他大学の女子は居るらしいです。僕は合コンに参加したことはないので知りませんが。これは東大生の問題というよりは外部の人間の認識の問題なので我々にはどうしようもありません。

鉄門○○部という、東大医学部生で構成される部活があるのですが、そこのマネージャーは殆どが他大学の女子な上に、選手よりも多くのマネージャーが集まるそうです。もちろん単純にマネージャーをやりたくて来ている人もいるのでしょうが、玉の輿狙いの人もたくさんいるのでしょう。

 

 

 

東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。


合コンの場では知りませんが、バイトやらなんやらで自己紹介する時に大学名をぼかすのは、女子に限らず男子にもあります。僕も聞かれない限りは大学名を自分から言うことはないし、聞かれて素直に東大ですと教えたこともあまりないです(結局バレるんですが)。

 

そういう人は結構いるみたいで、東大生ですというと大抵色眼鏡で見られるのが嫌だ、というのが大体の理由です。

 

 

 

男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。


知的な女性、いいと思うんですがねぇ。世の中の男性にはあまりわかってもらえないようです。

 

 

……「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。


昨年秋くらいに刊行された小説「彼女は頭が悪いから」は東大生が引き起こした暴行事件がモデルです。これもまた物議を醸した小説で、この話題が出た時に、これは荒れそうだなと思っていました。

 

僕はこの小説は最初の2ページくらいしか読んでいないので詳しく語ることはできません。読破した友人いわく、この本はフィクションとノンフィクションを中途半端に混ぜたためにありもしない東大生像が語られ反発を起こしたのだそう。「東大の男子学生が社会からどんな目で見られているか」を、内容の精査や取材をおざなりにして事実であるかのように描いたために、悪い意味で話題作になったのではないでしょうか。

本のタイトルで検索すれば色々出てくると思います。

 

 

残りの内容は、大体その通りだなと思うのであまり書くことはありません。「フェミニズムは弱者が弱者のままで……」とある部分はあまり納得していませんがここでは無視します。

 

 

簡単に言うと

前半部分はツッコミどころがすこしある
後半部分は素晴らしい
前半部分への疑問を抱えたまま最後まで聞いた人と、文章で読んだ人の間で感想に差が出た
なのでその場で聞いていた新入生を後から批判するのは危ないし、その逆もまた然りだよ
 

という感じです。この文章も最後までしっかり読んでから批判してくださいね。

 

 

4/25追記

https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019042400012.html

 

この記事の中にこのような記述がありました。

 

Twitterで「#東大入学式2019」と検索すると一目瞭然ですが、東大の新入生と思われるアカウントからは、「やべーやつの臭いがする」「祝辞でクソフェミ披露するな」「フェミニストも性差別やからな?自覚しろ」「あーキレそう ほんま無理」等、祝辞を馬鹿にする発言が散見されました。
 

後半で指摘している、努力が報われない社会や誰かを貶める社会を如実に表している代表例が前半で指摘した女性差別であると説いているわけで、どちらか一方を切り離すことは出来ません。前半を否定する人は結局のところ、後半の部分も理解出来ていないのだと思います。
 

僕がやっちゃあかんよと言ったことをキレイにやってくれているのですが、最初に言ったようにSNS、主にTwitter上での反応を後から文章を読んだ人がどうこう言うことはできません。

 

これらの感想は「式を最初から最後までよく聞き、深く考えた上内容をよく練ったもの」ではなく、「祝辞を聞きながら思ったことを垂れ流したもの」です。多分上記の反応は「事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。」といったあたりのものだと思います。その(前)後を全く聞かず、この言葉だけ見れば、クソフェミは流石に過剰でしょうが、「この人は何を言っているんだ?」という感想を抱くのは別段不思議なことではないでしょう。Twitter上にある新入生の感想はそう言ったものがほとんどなので気をつけなければいけません。東大生が体ひとつ動かさず話を聞いて、式が全て終わってからTwitterを初めて開いている……なんて思ってはいけません。

 

それから、東大男子側が批判しているのはあくまでも統計の数字、その根拠であって、内容を批判しているわけでは(いや、そういう人もいるかもしれないけど)ありません。性差を感じ、実際に虐げられた過去を持つ人だってきっといるわけで、そういった人までひっくるめてこのような記事を書いてほしくないというのが一東大生としての思いです。

 

★★★★★

東京大学の男女比の歪みは、入試がどうとか男女の学力差がどうとかいう話ではなく、単純に女子の受験者が少ないことに起因しています。大学側も、女子を対象にした家賃補助制度を導入したり(手放しでお金がもらえるわけではなく、実態を知れば「ビミョウ」としか言いようがない制度ですが)、"女子が苦手だと言われる"数学や物理がやたら易化したり(もちろん噂でしかありませんが)、いろいろ対策はしていますが、今年度の女子率は例年よりもさらに低くなりました。

 

 

男女比に偏りが出るのは普通にやりづらいので同じくらいになってほしいのですが、そうするには恐らく世間の考え方から変えていかなければなりません。長い闘いです。

 

 

僕の高校は東大をはじめとした旧帝大に毎年進学者を送り込む、いわゆる進学校と呼ばれるようなところでした。学年全体の男女比は、むしろ女子の方が多いくらいでしたが、難関大学を受験するのはそれでも男子の方が多かったです。僕の代は東大を受けたのが10人くらいで内女子1人、合格したのは2人で両方男でした。

 

 

成績上位者を一人一人呼び出して東大を受けるよう説得するような高校ですから、教師が東大受験を妨げたり、ということはまずないと断言します。少し下のランクの大学からは女子の受験者がたくさんおり、合格者も感覚的に女子の方が多いので、祝辞にあった女子は浪人を避ける傾向にある、というのは正しいということを過去に遡って実感します。

 

 

高校は大学を受験するのが当たり前の環境だったし、今も身の回りには浪人してまで東大に入った人がたくさんいるので、女子は浪人を避けるとか短大でいいとか、東大女子を忌避するみたいな考えはいまいち理解できません。ある意味幸せなのかもしれません。こういう環境に育ってきた東大生に向かってのメッセージであるなら大変素晴らしい祝辞であります。だからこそなおさら前半部分が惜しく感じられるのですが。

 

 

 

 

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以下に祝辞の全文を載せておきます。実際に上野さんが喋った内容と99.9%一致していることを僕から保証します。(0.1%に深い意味はありません。99%除菌みたいなもんです。)

 

 

 

 

ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。

 

その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。

女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。

事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。

最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。

そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。

東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。

東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました。

これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。

学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。

 

こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンやタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?日本の歴史に同性愛者はいたの?...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。

学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。

 

言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。

あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

 

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。
 

平成31年4月12日
認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長
上野 千鶴子

 

出典

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html

 

 

*この記事は以前別のところで書いた文章をそのままコピー&ペーストしたものです。