ある若人のブログ

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「100日後に死ぬワニ」の魅力

漫画家きくちゆうきさんの「100日後に死ぬワニ」という漫画がTwitterで流行っています。内容はなんてことない、なんなら面白くない部類に入る4コマ漫画で、タイトルは共通してn日目、漫画の最後には「死まであと100ーn日」という言葉が入るのが特徴です。

 

 

じゃあ「なんらかの病気とかで死を悟ったワニ君が残りの人生でやり残したことをやっていく」みたいな内容かと思ったら全然違い、死とは無縁そうなワニ君が淡々と日常を過ごしていく様子が描かれます。友達と少しすれ違ったり、好みの女性(女ワニ?)がいるバイトを突然辞めたりといった不穏をちらつかせることはありますが、それも日常生活の範囲内の出来事で、漫画のタイトルが「ワニ君の日常」なら全く気にならないような出来事です。

 

 

漫画だけでなく小説や映画なんかもそうですが、見せ方には「どのような結末に至るか(What)」だけでなく、「どのように結末に至るか(How)」を見せるものだってあります。ぱっと思いつくのは、古畑任三郎シリーズは推理ドラマでありながら、冒頭で犯人と犯行シーンが描かれます。ドラマの視聴者は犯人が分かっている状態で、主人公である古畑任三郎がどのように犯人を追い詰めていくかを見て楽しむわけです。あるいは種々のバトルものの少年漫画だって、最後に主人公が敵を倒すというのは暗黙の了解で決まっているようなものですから、勝つか負けるかを楽しむというよりは強敵にどのように立ち向かっていくかを楽しむものです。ワンピースでいえば打撃攻撃が効かないクロコダイルに対しルフィがどう攻撃していくのか……というのが見どころであり、「ルフィが死んでしまうかも」と思いながら読む人は多分いないと思います。主人公が死んだら漫画終わるし。第一巻が主人公の死亡シーンで終わる進撃の巨人という漫画もありますが。

 

 

そういうわけでで「100日後に死ぬワニ」は、WhatではなくHowを見せている漫画なのだと思います。「死」というのは古来から人を惹きつけ続けてきた題材です。ワニ君はどのように死ぬのか、なぜ死なないといけないのか。漫画じゃなくたって、「彼は100日後に死にます」と言われたらそれ以降はその人の動き一つ一つが気になるのはそうでしょう。余命宣告を受けた人がその日から何をするか、気にならない人がいますか?

 

 

「100日後に死ぬワニ」の内容自体がこのように魅力的なのは書いた通りですが、最近のコンテンツの受容のありかたも変わってきているのではないかと思います。文学や歌や映像作品でも、一枚の絵でも、暗喩や比喩や伏線、表面上では分からない意味が込められている、みたいな、様々な解釈ができる作品がすごく好まれているように思います。

 

 

同じくTwitterの有名絵師にアボガド6さんという、全国の理系受験者を困らせていそうな方がいます。その方はよく絵を描いてTwitterに投稿しているのですが、ツイートのリプライにはその内容の解釈で溢れかえっています。一番新しい絵を適当に。

 

 

 

 

 

 

 

コンテンツに複雑な裏設定を盛り込んで多様な解釈を可能にするという手法は何が発端か知りませんが、ボカロ曲に色濃く現れていると思います。「カゲロウプロジェクト」というものもありました。2010年前半くらいに始まったと記憶していますが、調べてみたら結構最近まで続いていたみたいですね。一つの世界観のもとで起こる様々な出来事を歌詞にして、複数の楽曲をいわばシリーズ物として作るみたいな(うまく説明できない)企画で、同じ日をループしていたり、自分が住んでいた世界が架空の電脳世界だったり、というダークな設定でヒットしました。かくいう私も中学生の時によく聞いていました。「カゲロウデイズ」で調べてみてください。

 

 

ネット上では「意味がわかると怖い話」という、「ぱっと読むと何でもない話だが読み方を変えると怖い話になる」という話が流行ったりしました。有名な「ウミガメのスープ」もこの部類に入るのではないでしょうか。少し前には「本当は怖いグリム童話」という、グリム童話の原作が非常にダークな話だという本が売れました。例えばシンデレラは、王子様がガラスの靴が合う女性を探しにきた時、継母や姉たちは足の肉を削ぎ落としてまで靴を履こうとしたそうです。そういう、「怖いと思ってなかったものが実は怖いものだった」というコンテンツの人気が高まっているのではないでしょうか。

 

 

「100日後に死ぬワニ」も、最後にワニ君が死ぬと分かっているからこそ見えてくる、作者も意識していなさそうな細かな描写に伏線を見出し、深い意味を見出し、みたいな楽しみ方ができます。さらに、媒体がTwitterなので、幸いにも読者は"発見した"そういう描写を手軽に発表することができます。そういった楽しみかたをするのもいいですし、何も考えずワニ君の日常を見て、「平和に終わっているように見えるけどこのワニ君は死への道を着実に進んでいるのだなあ」と考え自分の人生に想いを馳せ、それにもしかしたら明日交通事故で死んでしまうかもしれないのにこんな文章を書いている僕を神様は嘲笑っているのかもしれません。