ある若人のブログ

どこかで学生をしているかもしれません

MacのGarageBandでSF2を入れたらピアノの音しか鳴らなくなった時の話

最近機械音痴なりにDAWをセコセコやっているのですが、何となく操作を覚えてきたのでサウンドフォントを導入することにしました。

 

 

プラグインからDLSMusicDeviceを選んで……

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拾ってきたサウンドフォント(sf2ファイル)を選んで……

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ピアノの音が鳴り響く

あれ????????????????????

 

文字だと伝わりませんが、DLSMusicDeviceから特定のサウンドフォントを選んだ時に楽器が選択できずピアノの音しか鳴りません、と言う状態になったので、その原因と対策を頑張って考えましたって話。

 

 

1. サウンドフォントファイルが正しく読み込めてない?

とりあえずネットで解決策を調べてみたところ、ソフトの再起動だの本体の再起動だの、あらゆるカスタマーサポートが推奨する不具合の対策ランキングNO.1の方法が出てきたので試すも効果なし。sf2ファイルの再ダウンロードも一応試しましたが意味なし。

 

そもそも、ピアノの音しか鳴らないとはいえ、その(唯一鳴る)ピアノの音自体はサウンドフォントがちゃんと適用されているんですよね。だからsf2側の不具合ではなさそう。ということで他の原因を探ることに。

 

2.音色の指定がうまくできていない?

 

一旦サウンドフォントのことは諦め、他の方が作ったmidiデータをいじって遊ぼうとした時のこと。

 

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……ん?

 

サウンドフォントがちゃんと機能している……?

 

 

はい。ピアノじゃない音でGarageBandくんが音を出してくれました!やったね!

なぜさっきのはダメで今回はピアノ以外の音が出たのか、がわかれば解決に大きく近づきそうです。再び原因と解決策探求の旅に出ることに。

 

その後もいろいろsf2ファイルを入れて試してみたところ、ベースの音だけ、トランペットの音だけ、のような一つの音のみのsf2ファイルはちゃんと音が鳴ることがわかりました。逆に、僕が使おうとしていたSGM-V2.01のようなファイルはさまざまな楽器の音色を一つのファイルにまとめて入れたものです。どうやらDLSMusicDeviceでそういうファイルを使おうとした時にどの音色を使うかという指定がうまくできてない、と考えると今回の問題の辻褄が合います。とりあえずその方向で原因を探ることに。

 

3. GM規格の番号の指定ができていない?

さらに調べると、SGM-V2.01のようなファイルは「GM規格」に則って作られているということを知りました。

GM規格とはMIDIデータをやり取りするためのもので、1番はピアノの音、41番はバイオリンの音……みたいな感じで楽器ごとに番号が決まっているので1つのデータを異なる機器で再生しても同じ音楽が流れる仕組み、みたいなものです(浅い理解)。このGM規格で最初の番号はピアノなので、DLSMusicDeviceではピアノの音しか出なかったんですね。

 

また、他の人が作ったMIDIデータで音色が変更できたのは、そのデータは何らかの方法でGM規格での楽器の指定がしっかりしてあったからと考えることができます自分で作るのは諦めて全部人に作らせよう。その上であらためてMIDIを見ると

 

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ここにそれらしき番号が!!!

これで原因は突き止められたので、次はその解決策を考える番です。

 

 

解決編

解決策は手っ取り早く、「どうやったら番号を指定できるの?」を考えることに。いろいろ調べたのですが

 

GarageBandだとできないっぽい……?

 

とりあえず一件のブログが検索結果にヒットしました。

GarageBand with GeneralMIDI

 

この方も今の僕と同じ悩みをかつて持ち、その解決策を編み出されていましたこの記事なんていらんかったんや

それによると、音色を指定したmidiデータを全128個用意し、それをドラッグして貼り付ければ音色を指定したmidiトラックが作れるとのこと。そして丁寧にも128個まとめたzipファイルが置いてありました。ありがたく使わせていただきましょう。

 

 

midiデータをドラッグして置き、適当に音を並べて

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ちゃんと音が鳴った!無事解決!!当記事 完!!!ご愛読ありがとうございました!!!!

 

 

 

 

 

……(ケチをつけるわけじゃないけど)この方法には1個問題点があって、それは一度音を並べたら楽器の変更ができないこと。楽器を変えるためには違うmidiデータを上から貼り付ける必要があるので当たり前っちゃ当たり前。楽譜をコピーして新しいトラックに貼り付けすることでなんとかできなくもないけど、楽器をいろいろ変えながら音を探せないのはやっぱり不便。もうちょっといい方法を探すことに。

 

 

解決策を探っている時に思ったのが、「sf2ファイルでうまくいかないんならそれを他の形式に直して使えばいいんじゃね?」ってこと。sfz形式は事前にうまくいっていたので、sf2→sfzに変換してくれるソフトを探すと出てきたのがpolyphoneというソフト。

 

ダウンロードはソフト名で調べれば多分すぐ出てくる。

起動して真ん中上部にあるOpen soundfontからsf2ファイルを選び、

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なんかいろいろ調整できるらしいけど全部無視して右上の3本線をクリック。

Export soundfontsから使いたいフォントを選び、保存先とフォーマット(今回はsfzですが、他にsf2とsf3にもできる)を選び、最後に左下のExportを押すと変換が始まります。

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確認してみると……

 

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sfzになってる!

早速GarageBandで確認してみると

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ちゃんと音色の指定ができました。

 

 

結局sf2で使えないんかいという、問題の先送り感がどことなくしますが、音鳴ってるんだしいいでしょ。いいよね。

詳しい人からすればなんだそんなことと思うかもしれませんが、私はこの一連の作業に半日ほど使って疲れた。疲れたから終わり。別の方法でもっとうまく解決できるよ!という方がいらっしゃったら是非お教えください。

 

 

「100日後に死ぬワニ」の魅力

漫画家きくちゆうきさんの「100日後に死ぬワニ」という漫画がTwitterで流行っています。内容はなんてことない、なんなら面白くない部類に入る4コマ漫画で、タイトルは共通してn日目、漫画の最後には「死まであと100ーn日」という言葉が入るのが特徴です。

 

 

じゃあ「なんらかの病気とかで死を悟ったワニ君が残りの人生でやり残したことをやっていく」みたいな内容かと思ったら全然違い、死とは無縁そうなワニ君が淡々と日常を過ごしていく様子が描かれます。友達と少しすれ違ったり、好みの女性(女ワニ?)がいるバイトを突然辞めたりといった不穏をちらつかせることはありますが、それも日常生活の範囲内の出来事で、漫画のタイトルが「ワニ君の日常」なら全く気にならないような出来事です。

 

 

漫画だけでなく小説や映画なんかもそうですが、見せ方には「どのような結末に至るか(What)」だけでなく、「どのように結末に至るか(How)」を見せるものだってあります。ぱっと思いつくのは、古畑任三郎シリーズは推理ドラマでありながら、冒頭で犯人と犯行シーンが描かれます。ドラマの視聴者は犯人が分かっている状態で、主人公である古畑任三郎がどのように犯人を追い詰めていくかを見て楽しむわけです。あるいは種々のバトルものの少年漫画だって、最後に主人公が敵を倒すというのは暗黙の了解で決まっているようなものですから、勝つか負けるかを楽しむというよりは強敵にどのように立ち向かっていくかを楽しむものです。ワンピースでいえば打撃攻撃が効かないクロコダイルに対しルフィがどう攻撃していくのか……というのが見どころであり、「ルフィが死んでしまうかも」と思いながら読む人は多分いないと思います。主人公が死んだら漫画終わるし。第一巻が主人公の死亡シーンで終わる進撃の巨人という漫画もありますが。

 

 

そういうわけでで「100日後に死ぬワニ」は、WhatではなくHowを見せている漫画なのだと思います。「死」というのは古来から人を惹きつけ続けてきた題材です。ワニ君はどのように死ぬのか、なぜ死なないといけないのか。漫画じゃなくたって、「彼は100日後に死にます」と言われたらそれ以降はその人の動き一つ一つが気になるのはそうでしょう。余命宣告を受けた人がその日から何をするか、気にならない人がいますか?

 

 

「100日後に死ぬワニ」の内容自体がこのように魅力的なのは書いた通りですが、最近のコンテンツの受容のありかたも変わってきているのではないかと思います。文学や歌や映像作品でも、一枚の絵でも、暗喩や比喩や伏線、表面上では分からない意味が込められている、みたいな、様々な解釈ができる作品がすごく好まれているように思います。

 

 

同じくTwitterの有名絵師にアボガド6さんという、全国の理系受験者を困らせていそうな方がいます。その方はよく絵を描いてTwitterに投稿しているのですが、ツイートのリプライにはその内容の解釈で溢れかえっています。一番新しい絵を適当に。

 

 

 

 

 

 

 

コンテンツに複雑な裏設定を盛り込んで多様な解釈を可能にするという手法は何が発端か知りませんが、ボカロ曲に色濃く現れていると思います。「カゲロウプロジェクト」というものもありました。2010年前半くらいに始まったと記憶していますが、調べてみたら結構最近まで続いていたみたいですね。一つの世界観のもとで起こる様々な出来事を歌詞にして、複数の楽曲をいわばシリーズ物として作るみたいな(うまく説明できない)企画で、同じ日をループしていたり、自分が住んでいた世界が架空の電脳世界だったり、というダークな設定でヒットしました。かくいう私も中学生の時によく聞いていました。「カゲロウデイズ」で調べてみてください。

 

 

ネット上では「意味がわかると怖い話」という、「ぱっと読むと何でもない話だが読み方を変えると怖い話になる」という話が流行ったりしました。有名な「ウミガメのスープ」もこの部類に入るのではないでしょうか。少し前には「本当は怖いグリム童話」という、グリム童話の原作が非常にダークな話だという本が売れました。例えばシンデレラは、王子様がガラスの靴が合う女性を探しにきた時、継母や姉たちは足の肉を削ぎ落としてまで靴を履こうとしたそうです。そういう、「怖いと思ってなかったものが実は怖いものだった」というコンテンツの人気が高まっているのではないでしょうか。

 

 

「100日後に死ぬワニ」も、最後にワニ君が死ぬと分かっているからこそ見えてくる、作者も意識していなさそうな細かな描写に伏線を見出し、深い意味を見出し、みたいな楽しみ方ができます。さらに、媒体がTwitterなので、幸いにも読者は"発見した"そういう描写を手軽に発表することができます。そういった楽しみかたをするのもいいですし、何も考えずワニ君の日常を見て、「平和に終わっているように見えるけどこのワニ君は死への道を着実に進んでいるのだなあ」と考え自分の人生に想いを馳せ、それにもしかしたら明日交通事故で死んでしまうかもしれないのにこんな文章を書いている僕を神様は嘲笑っているのかもしれません。

コロナウイルス怖いね

コロナウイルスが流行っています。昨年末くらいに中国で広まっているみたいなニュースを聞いてから世界に広まるまであっという間でした。病気自体もさることながら、感染を防ぐためにいろんな活動が自粛されて困ったものです。3月中ばに予定されていた部活の合宿もなくなってしまいました。浮いたお金で焼肉でも食べましょうかね?

 

 

1月くらいには各地でマスクが品薄状態になっていました。僕はマスクをつけるのが嫌いなのでこの状況でもマスクは確保していません。一人暮らしを始めて何年か、マスクをつけた記憶はありませんが、今のところなにかの病気をもらったことはないので大丈夫でしょう。受験直前の年末に2000人入るホールに第九を聴きにいきましたがインフルにならなかったので、それ以来もう何もしてもならないと思っています。大災害が起こっても映画の主人公よろしく、何とか生き延びられると思っているタイプの人間です。自分だけは特別だと思っているの、あるあるですよね?

各種予防接種も、高校まではずっと受けていましたが、大学に入ってから予約が面倒でしてません。私の現代医学の進歩の恩恵の受けてなさはなかなかのものです。

 

 

 

毎日のように、今日はどこで誰が感染して何人死んで……と報道されています。そんなことを毎日聞かされたら流石に怖くなるのが人間ですが、別にコロナウイルスでなくてもいろんな病気でいろんな方が毎日なくなっているわけで、インフルエンザだって同じように報道されれば安倍ちゃんは学級閉鎖を要請するだろうし、「今日肺癌と診断されたのは何人で、肺癌による死亡者は……」と毎日聞かされたらタバコを吸う人はグッと減るんでしょう。結局見えている情報ばっかりで判断するのが人間です。

 

 

 

2月の末から、全国のスーパーや薬局でティッシュペーパーやトイレットペーパーがなくなる怪奇現象が起こりはじめました。マスクが品薄になっていたのは先ほど書いた通りですが、「マスクと同じ材料を使うティッシュやトイレットペーパーもいずれ品薄になる」という噂が広がって買い占めが起きているらしいです。たまたま先週家のトイレットペーパーがなくなったので買い足したのですが、後少し遅かったらトイレのために15分歩いて駅に向かう生活になっていたかもしれないと考えるとゾッとします。

 

 

ちなみにその噂は嘘で、マスクを何億枚作ろうとティッシュやトイレットペーパーがなくなることはないとのこと。歴史は繰り返すと言いますが、3,40年ほど前、オイルショックの時に全く同じことを日本人はしてきました。主婦層には当時のことを知っている人だっているはずなのに何も学習しないのが人間です。そういえば「友達のおばあちゃんがオイルショック時のトイレットペーパー買い占め騒動の発端」だという友達がいます(つまり友達の友達のおばあちゃん)。「ひいおばあちゃんの友達が米騒動の発端」という友達もいます。100年前からやることは何も変わりませんね。

 

 

ちょっと熱っぽくなってきました。なんかだるくて動く気にもなれません。もしかしたらコロナウイルスに感染してしまったのかも。そのうち「都内で20代男性が〜」と報道されたら、それは僕かもしれません。もしくはずっとコタツに入りっぱなしだから体が温まって少し水不足になっただけかも。何事も冷静に対処することが大事。僕は全ての病気はあったかくして寝れば治ると思っているので、とっととご飯食べて寝ることにします。病院も人手不足で何たらかんたらたずっと言われてますから、自分の思い込みで無駄な手間はかけさせないようにしておきます。怖いのは案外思い込みで動いてしまう人間の方かもしれませんから。

 

 

 

 

東京大学卒業RTA Any%

以下の内容は、「名古屋大学卒業RTA」の無許可パクリオマージュです。これを読まないと多分面白くないです。読んでもこっちは面白くないかもしれないです。元ネタはすごく面白いので是非。

 

http://nujiyucho.hatenablog.com/entry/2020/01/14/162435

 

 

先日投稿された「名古屋大学卒業RTA」は、様々なバグを用いたその斬新な手法と伝説的な記録により、いかに早く卒業するかを競う各大学の卒業RTA走者に衝撃を与えました。

 

 

以前から旧帝大などの難関大学を中心として卒業RTAのための手法やチャート作りが行われてきたことはご存知かと思いますが、こと東京大学においてはRTAが不可能と言われるほど、その作業は難航していました。

 

【東大におけるRTA】 

これまで東京大学卒業RTAを難しくしてきた主な要因は、キャップ制進振りでした。

 

 

キャップ制とは、1年間に取得できる単位数に上限が設けられることで、入学したての東大の前期課程では年間60単位までしか取得できません。先述の名大卒業RTAでも、このキャップ制のおかげでそれまでの手法が使えなくなるという界隈に激震が走る出来事がありました。

 

 

このキャップ制もさることながら、東大には進振り(現在は「進学選択制度」に改名されているが、その呼称で呼ぶ東大生はこの世に存在しない)という制度があります。これにより、大学でのカリキュラムが前期課程と後期課程に分かれ、前期課程中にいくら単位を取ろうとも、2年次の夏に進振りを受け後期課程において専門科目の単位を取得しなければ卒業することができませんでした。入学した直後に名大RTAの手法を用いて26万単位を回収しても、それらの単位は後期課程には算入されないために卒業の要件を満たさないわけです。

 

 

以上の二点が大きく邪魔をして東大のRTAで記録を残せるチャートを組むのは不可能と言われてきました。これまでに何人もの走者が安田講堂の隅に体を打ちつけたり、赤門の前で不思議なジャンプをしたりしてきましたが、有効な手段は発見されませんでした。

 

 

東大における生徒用の履修管理システムであるUTASを用い、自らの情報を書き換えて後期課程に飛び級し、そのまま単位を取り卒業するという荒技も編み出されましたが、UTASが使えるようになるのは諸手続きが完了した3月最終日〜4月頭であり、かなりの日数が空いているため現実的ではありません。なによりこの方法は最悪逮捕されてしまうので、編み出した人以外に実行者はいません。

 

 

【教務課バグ】

こうして東大卒業RTAは不可能だと結論づけられ、人々から忘れ去られようとしていたそのとき、界隈に激震が走るバグが発見されました。それは、「理科I類入学者が諸手続きの際に駒場1号館に持っていくべき書類を本郷キャンパス文学部教務課に持っていった場合、内部のデータ処理にバグが発生し文学部生として扱われる」というものです。これを界隈では教務課バグと呼んでいます。

 

 

このバグの詳しい発生条件は分かっておらず、成功率も低い上に失敗すれば諸手続きが行えず東大合格がパーになる危険なものです。一説には理科I類と文学部の分類が同じ04であることなどが要因と言われていますが、ともかくこれによって東大卒業RTAの最大の双璧であったキャップ制と進振りを突破することができたわけです(後期課程にキャップ制はない)。

 

 

あとは名大と同じ方法を用いれば東大においてもRTAができるはずですが、東大では名大におけるいくつかのバグに対策がなされており、それも乗り越えなければなりません。

 

卒業論文

まず、以上の方法で後期課程文学部になれたとしても、文学部には卒業論文があります。これについては、以下の方法で回避することができます。

 

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 これは東大文学部の卒業要項です。重要なのは赤字、こちらの要件を満たせば卒論を書かずに文学部を卒業できます。超簡潔に言えば単位を多めに取れば卒論の分を補えるよ、という卒業条件ですが、名大RTAで用いられた「BJセオリー」を用いれば65535単位獲得できるためそんなの関係ないです。そのためには、バグを用いた時に以下の専修課程(インド語インド文学、英語英米文学、ドイツ語ドイツ文学、フランス語フランス文学、南欧南欧文学、西洋古典学)に所属している必要があります。どの専修課程になっているかは、本来の手続きでの学籍番号との関連が示唆されていますが、学籍番号は自分では決められないため、バグを用いた際に以上の6専修課程のどれかに配属されていなければリセットです。

 

 

【卒業式】

卒業のフラグを立てるためには、安田講堂で行われる卒業式への参加が必要です。しかし、卒業式は諸手続きの前に行われ、入場には学生証回収イベントを立てることが必須です。学生証は諸手続きの前に行われますし、なにより教務課バグチャートでは肝心の学生証がもらえません。

 

 

この対策としては、RTAを走る前に一度東大に合格し、通常ルートで諸手続きまで進んで学生証を手に入れるのが良いでしょう。親戚や知り合いに東大生がいれば、彼らから学生証を借りたり、無くしたと偽って再発行してもらったりしてもらうのも手ですが、必ずしも周りにそういう人がいるとは限らないので、自分で手に入れる方が確実です。通常ルートで学生証を手に入れた後はそのまま大学生活を謳歌しても構いませんが、そのまま卒業するとやはり学生証を回収されるので必ず中退するか、卒業式を何らかの理由をつけて欠席しましょう

 

 

以上をまとめ、チャートを作成するとこうなります。計測地点は諸手続きのために駒場キャンパス1号館に入った瞬間から、卒業要件を満たした時点でタイマーストップです。

 

1.東大に一度合格、学生証を入手

2.1の学生証を用いて卒業式会場に入る(この時点で卒業フラグの一つ成立)

3.「二重画鋲」「単位チョコ」「せいきょうミルクプリン」「ドクターペッパー」を99個ずつ購入(「BJセオリー」参照)

4.東京大学理科I類に合格

5.諸手続きの日に駒場1号館に入り、即座に引き返して本郷キャンパスへ向かう→計測開始

6.文学部の教務課に書類提出、ステータスを確認

7.成功していた場合、そのまま本郷キャンパス安田講堂下の購買部で「BJセオリー」を行使→卒業

 

 

以上が東京大学における卒業RTAのチャートになります。

 

 

改善点としては、1時間近くかかる駒場と本郷の移動が発生するためタイムの短縮が難しく、交通状況に大いに左右されることです。駒場ー本郷間の区間練習は何度でもできるのでしっかりと練習しておきましょう。また、計測開始前に卒業式フラグを立てておくことに関しては大学卒業RTA公認記録として扱われるか厳しいところであるため、東大限定レギュレーションとしての参考記録になるかもしれません。しかしながら、不可能であると思われた東京大学においてRTAの現実的なチャートが生み出されたのは大学卒業RTA界での革新と言えるでしょう。

 

 

東大に2度合格する必要があり、前提条件を満たした上でチャレンジしたとしても教務課バグの成功率は低い、成功しても専修課程が違えばリセット&最初から(卒業式イベントで学生証が回収されていれば、その再取得から)という、大学卒業RTA界屈指の鬼畜難易度ですが、新しく発明されたこのチャートで走る人は英雄と崇め讃えられるでしょう。皆さんの幸運を祈ります。

 

 

1/21追記

本家様にこの記事を読んでいただいたようです……恐縮です。

 

学生オーケストラの可能性

大学からオーケストラサークルに所属しています。

 

 

中高は吹奏楽部で、管弦楽とは縁がなかった人でした。吹奏楽管弦楽の違いも、音楽に関わっていない人にとってはよく理解されていないみたいなので、簡単に言うとヴァイオリンとかの弦楽器があるのが管弦楽、ないのが吹奏楽ですね(超雑な説明)。クラシック音楽という奴です。

 

 

クラシック音楽というとどうしてもとっつきづらい、よく分からないと思われてしまうので、もっとたくさんの人に楽しんでもらうにはどうすればいいのかと日々苦心しています。一度知れば、意外と身の回りにはクラシック音楽が溢れていることに気づきます。最近見たテレビの中では、年末のガキ使ではベートーヴェンの第九の2楽章が使われていたし、格付けの扉を開ける時の音楽はリヒャルトシュトラウスの「ドンファン」冒頭です。テレビなんかのBGMはクラシック音楽の宝庫です。

 

 

しかし、クラシックに限らず趣味というものは何かきっかけがないとなかなか始めようとは思いません。そのきっかけづくりに、学生オケが最適なのではないかと最近思い始めています。

 

 

日本だけでもプロアマ問わず種々のオーケストラがあり、日本全国いろんなところで演奏会が行われています。もちろん学生が作るオーケストラよりもプロの方がずっと上手なのですが、「クラシックに興味があまりない、馴染みない人の集客」という観点では、学生オケの方がずっと有利であると思います。高校時代の友人や大学の同期などにそんな人がいれば、「クラリネットとトランペットの違いもわからないし、ファゴットなんて見たことも聞いたこともないけど、友達が出るなら聞きにいってみよう」という人たちにクラシック音楽に触れ合う第一歩が完成するわけです。これは他のどんなアマオケや、プロオケにだってできないことだと思います。

 

 

そしてここからが本当に書きたいことなのですが、演奏会のプログラムは各団体によって個性が出ていて面白いのですが、ほとんどの場合「曲解説」のコーナーが設けられています。演奏を聞く前に曲について簡単に解説し、鑑賞を手助けするためのものです。僕はこれこそが学生オケにとって一番気遣わなければならない、クラシック音楽愛好家を増やそうという試みはこの部分で成功が決まるのではないかと思っています。

 

 

こんなブログを書くくらい文章を書くのは好きなので、高校の吹奏楽部の演奏会、今の大学のオケと、今までに何度か曲解説を執筆したことはあります。しかし、自分の書いた文章を他人に評価してもらったり、他団体の演奏会に行って解説を読んだりしますが、どれも相手が自分と同等くらいの音楽知識があるものとして解説している文章ばかりになっています。クラシック音楽をやっているとどうしても、バッハとベートーヴェンはどちらが先に生まれたとか、ブラームスワーグナーは対立していたとか、マーラーという作曲家の存在を当たり前と思ってしまいますが、冷静に、高3の頃の自分はそれらの事実を知っていたのか?と考えるとそれらを常識とは決して言えないはずだと。

 

 

難しい音楽用語を使った、クラシック愛好家のための曲解説ではなく、なるべく噛み砕き、みんなが知っているようなことや人の名前、中学校の時に習ったこと、それらとの関連や歴史的な背景(もちろんあまり難しすぎるものではなく)を説明しながら、難しい言葉を仕方なく使うときはそれらの丁寧な説明を忘れず、クラシック音楽に対する認識が良い方に改まるような、そんな「クラシック初心者のための曲解説」でありたい。例えばベートーヴェンって「ジャジャジャジャーン」しか知らなかったけどこんな曲も書いたんだ、この人ってどうして学校で習うのか分からなかったけど、こんなすごい人だったんだ、顔も名前も知らない人の曲だけど、実は自分が知っていることとこんな繋がりがあるんだって、少しでも興味を持ってもらえるような文章でありたい。そういう思いで曲解説を書くようにしています。

 

 

曲解説一つになぜここまで熱くなれるかというと、クラシック音楽を聞き始めたばかりの高3のとき、右も左もわからず聞く中でネットでいろんな曲解説を漁りまくった過去があるからです。一人の青年がクラシック愛好家になるまでに感じたあの情熱と、緻密に練られた偉大な曲を少しでも理解できた時の感動を少しでも多くの人に味わってほしい。何よりも、音楽がもっと身近な存在であってほしいからです。

夢のあと

 最近よく夢を見ます。

 

 

 精神の安定を欠き,深い睡眠に至れない日々が続いていました。部屋の電気をつけたまま寝落ちていたのも悪いのですが。おかげで,我が家には朝4時半ごろに新聞配達が来るということもしっかり把握しました。新聞配達のお兄さん(あるいはお姉さんかもしれません)は部屋の電気がこんな時間についていることをどう思っているのでしょうか。

 

 

 そんなことはどうでもよくて,夢の内容は結構様々です。夢の内容を記憶しておこうと思ったことは少ないので,今ここで中身を諳んじられるのはわずかですが,断片的にはいくつか思い出せます。この前は死後の世界で中学時代からの親友と,極楽に行くか地獄に落ちるかの審判を待っていました。すごい夢だぁ。

 結局私はチベットにいそうな坊さんのもとで白いドラゴンに生まれ変わり,生まれ故郷で黒いドラゴンに命を狙われ,少女と協力してブラックドラゴンに瀕死のダメージを与えたところで生き絶えそうなそのドラゴンにベートーヴェン交響曲第7番を聞かせているところで目が覚めました。なんて夢だ。

 

 

 安直に「夢占い ドラゴン」で検索してみると,意外にも多くのページがヒットします。龍が出てくるのは幸運の象徴らしく,白いドラゴンは物事が良い方向に向かうことの暗示,龍に追われる夢はストレスや不安の暗示,ちなみに2匹以上の龍が現れるのは「これ以上欲張ると幸運を逃してしまう」だそう。余計なお世話じゃ。

 

 

 夢の中で叫ぼうとしたことはありますか?私はここ最近の夢の中でなんども叫ぶ場面がありました。しかし,そういった時は決まって声がかすれて出ません。やっと出たと思った時に目が醒めることが多いのですが,先述のドラゴンの夢の時にどうやら現実でも叫んでいるらしいということに気づきました。夢と現実がリンクするというのは恐ろしいことです。声がかすれて出ない時の夢の中での恐怖は底知れぬものがあるのですが,現実でも同様に苦しみ悶えているのでしょうか。

 

 

 夢の中で人を殺したこともあります。近所に住む知り合いの首を絞めていました。殺される夢は意外と吉夢らしいですが,殺す夢ってどうなんでしょう。何にせよあまりいい気分ではありません。この夏に久しぶりにその人に会ったのですが,元気そうで安心しました。本人を目のまえにしても殺害衝動は起こらなかったのでホッとしました。

 

 

 自分一人だけの夢はあんまり見たことなく,大抵は誰か他の人が出てきます。夢に気になる子が出てきて,自分の想いに気づくなんてのは思春期にありがち(要出典)ですが平安時代の我々の祖先は,自分のことが好きな人が夢にまで会いにきたんだ,と考えていたそうです。現在とは真逆の考え方ですが,それはそれでありなんじゃないでしょうか。こちらの方がロマンがあるので私はこちらの説を信じています。私が想いを寄せている人が夢に出てくることが滅多にないので,その意味で皮肉にもこちらを信じるしかないのもあります。

 高校時代,通学の電車内で毎日のように見ていた(電車が2両編成で30分に1本しかないので高確率で見かけるのです),名前も知らない女子高生が夢に出てきたことがあります。まあ実際顔だけ見れば好みではあったのですが,実は相手も私のことを密かに見ていたのかもしれません。……まさに寝言は寝て言えというやつです。その人とは当然のように一言も会話するどころか,目も合ったことなく電車で見かけることはなくなりました。

 また,同じ人が2日連続で出てきたこともあります。そんなことは後にも先にもこの1回きりなのでよく覚えています。片方は告白される夢だったので,一体どうしたことかと思ったりもしました。私がなんども会いたがったのか,彼女がなんども会いにきてくれたのか,どうなんでしょうかね?

やさしい日本語と優しくない日本人

台風19号の接近に伴い、先日NHKの公式ツイッターがこのようなツイートを投稿しました。

 

 

 

このツイートに対し、ひらがなばかりで分かりにくいという批判や、外国人に向けての報道は英語ですれば良いという批判、また、多言語で対応をツイートしたJR西日本と比較して、JRの対応はすごい!みたいなことを言っている人もいました。

 

 

僕も初めて知ったのですが、NHKのツイートのような平易な言葉で表された日本語を「やさしい日本語」というそうです。元は阪神淡路大震災を機に考案され、災害時など緊急性が高い場合は、在日外国人向けに「やさしい日本語」による報道や案内が行われるようになったそうです。あの東日本大震災の時にも実用されているらしい。

 

 

世界の様々な言語に翻訳して伝えられれば一番ですが、緊急時で時間や人手が足りない時には、情報発信者は誰でも作ることができ、受信者はより多くの人が理解できる、そういう伝達手段が求められます。それを目指しての「やさしい日本語」なのでしょう。

 

 

「やさしい日本語」は、難しい言葉を避けること、短く簡単な文構造にすること、漢字の使用は簡単なものにとどめ、さらに全ての漢字にルビを振ることが主な規則だそうです。そういえば中学校の時に避難訓練の放送をALTの先生向けに書き換えさせるテストの問題がありました。音読したら1分くらいはありそうな長い文章を一つ一つ簡単な言葉に直していったのですが(「訓練、訓練、給食室で火災が発生、火の勢いが強く……」)、模範解答を見ると「火が燃えています。グラウンドに逃げてください」みたいなもので拍子抜けしました。そんな簡単でいいのか。まあ確かに、ALTの先生にしてみれば逃げるルートは周りの人についていけばいいし、状況とするべきことが伝わればいいのかな。

 

 

そもそもなんで「やさしい日本語」が必要なのかと言われれば、私が思うに一番多くの外国人に伝わるのが日本語だからです。だってここ日本だし。日本にくる人がまず勉強してくるであろう言語は日本語です。だからそんな彼らに向けて、ちょっと簡単な日本語で伝えようとする試みは決して間違いではないはずです。

 

 

批判している人の多くは、外国人に向けたメッセージは世界共通語であるところの英語でやればいいとしていますが、「やさしい日本語」の対象者には旅行者や留学生だけでなく、いわゆる出稼ぎ労働者なども含まれているはずであり、彼らに英語で話して十分通じるとは考えづらいです(バカにしているわけではないですが)。大体多くの人が中学、高校と6年間英語を学んでいるはずの日本人も英語スキルは碌なものじゃないんですから、日本にいる多くの非英語圏出身外国人に英語で伝達するのには限界があるでしょう。

(補足しておきますと、彼らをバカにしているわけではなく、寧ろ外国から来て日本語を学んで日本語で生活している彼らを尊敬すらしているのですが、そういう彼らに母国語と日本語以外に新たに言語を勉強する余裕や時間は少ないだろうという意味です。)

 

 

JR西日本が多言語で同じ内容をツイートしたものとの比較という面では、これはおそらく両者の報道の対象の違いからくる方向性で、どちらの対応が優れているとかそういう話ではないでしょう。JRはあくまで交通機関であり報道機関ではありません。そのため情報伝達の対象は交通機関を多く使う旅行客になるはずです。そうすると、連絡は日本語のほか、訪日客が多い中韓、英語で行えば十分でしょう。日本に旅行に来る人は裕福な人間であり、教育レベルもある程度保証できる(=非英語圏の人であってもある程度英語が通じる)と考えられるからです。

 

 

一方NHKは報道機関であり、日本人を中心とした日本にいる人全てを対象にしなければなりません。そういった人たちに緊急・重大な報道を行うときは、やはり中韓国語や英語だけでは不十分でしょう。近年はベトナムなどの東南アジアからの出稼ぎ労働者も増えています。どこのコンビニに行っても大抵1人2人は出稼ぎ労働者がいるんじゃないかと思ってしまうほどです。

 

 

考えてもみれば、例えば非英語圏の中国や韓国、東南アジアの国なんかにいる時に、避難指示を英語で出されるよりもその国の言葉で教えてもらえる方が安心感がありませんか?日本以外の国々で同様の試みがあるのかは知りませんが。ある意味災害の多い日本らしい試みだとは思います。

 

 

それにしてもこの「やさしい日本語」という外国人向けの取り組みを外国人が批評するのはともかく、最初から対象にされていない日本人がああだこうだ言っている姿は醜いです。この表現をもっとこうした方がいい、などの趣旨を理解した建設的な意見はもちろんいいのですが、「こんな小学生みたいな文章バカにしているのか」「読みづらい」などの、何故か自分に向けての報道だと思っている人(もちろんですがNHKは日本語話者向けの通常の報道もしています)、「英語の方が伝わりやすい」「いろんな言語に訳したものを伝えろ」といった、「やさしい日本語」を調べようともせず存在価値を全否定する人。NHKというだけでアレルギーを起こしているのでしょうか?

 

 

情報化とともに、情報の専門性がなくなってきたように思います。難しいノーベル賞の理論でも、ネットで調べれば何を言っているのかは理解できるような、そんな時代です。そんな中で、誰でも専門家になれるんだという万能感だけを持って、碌々調べもしないで物事を批判するようなアホどもが最近とても増えている気がします。彼らの手元にあるのはただの金属の箱なんでしょうか。もったいないから僕に寄越せ。

 

 

もっと ちゃんと しらべましょう。インターネットで はじを さらすのは やめましょう。